すわりのわるさというかいごこちのわるさ
でんぱ組.incの「でんでんぱっしょん」のPVを見て、きゃりーぱみゅぱみゅのPVの直視できなさ、居心地の悪さを再認識した。
きゃりーぱみゅぱみゅの作りって基本的に「あっち側」に向いてるからクールジャパンとか言ってるオッサン共にもウケが良いのかー、と。
村上某のオタク気取りアートの居心地の悪さも同じ構造じゃないの。
土着感がない。「作られた」感じ。
「お前らこういうのが好物だろ?」って「あっち側」の人に言われるのはやっぱ反発あるじゃん、みたいな。
でんぱ組.incも狙いすぎじゃないの、ってのは感じるけど。
記憶がヤバい
「あの話、誰としたんだっけ?」ってなることが多い。
「これこれでさー。すごくね?」「それ、前に言ってたじゃん」「おうふ。。」ってなることもある。
多分このネタもいろんな所に書いてるんだろうけど、忘れている。
ミーもミーム
いや、ミームかって言うと微妙なんだけどね。
特定の人たちが使っていた言葉がその垣根を越えて広まって一般的な言葉になっていくってのは現実世界でもよくあることだけど、ネットだとそれがもっと見えやすい形で広まっていくので面白いな、と思うわけです。
が、具体的な例は思いつかない。
つっても、一人が言い出した言葉がそのグループに広まる、ってのは頻繁に目にするんだけど(卑近な例だと「けこが」とか)意外とそのグループの外に出て行かない。
たとえば語感だけで意味が無かったり、言葉というよりは言い回しだったり、あまり一般的ではない事象をあらわしてたり、いろいろな理由があるんだろう。
実際広がっている言葉なんてあまり多くないだろうしね。「リア充」とかはすごく広がった方なんだろう。
けどそこでまた別の問題が発生する。
狭い世界で使われていた言葉が広く一般に広まったとき、意味まではうまく伝わらないことが多いので、狭い世界で使われていた「狭義の○○」(そのグループの間では共通認識がある)と、その後広まる過程で内包する意味が増えた「広義の○○」(もとのグループが意図しなかった意味も含まれる)の間で意味の範囲に違いが出てくる。
どの世代に属していたかで意図する意味が変わってくるのだ。
広まるにつれその言葉のもつ意味があいまいになっていく、とも言える。
また、もともと定義なんてあってないようなものだから、多くの人の目にふれることで定義が成長していくという面もあり、その結果、もともとのグループで使われていた意味からは離れたりすることもあるだろう。
そうやって考えると、言葉は生き物なんだなーと思えるし、社会って生き物なんだなーとも思える。
結局なんだかまとまってないけれど、でも、そういうのが面白いなと思っている今日この頃です。
うわー、どーすんの。。
さっきの続きのような別の話。
- 場のこと
twitterはステータスの交換からリプライだったりハッシュタグでコミュニケーションの場に向かっていったけど、最近の変化はメディアというか拡声器的な存在に向かっている気がする。
で、facebookは共有、コミュニケーションを邁進している。
google+はどーなのよ、って言うとやっぱ分かってない感があるので結構時間かかるんじゃないかなあ?
例えばGmailの様にみんなが使いたい、って思う様なサービスではないと思う。
- じゃあGoogleは?
Googleのサービスが魅力的でなくなる日が来るなんてだれも想像してなかったような気もするけれど、でも最近その陰りはちょいちょい話題になっている。
twitterにしてもfacebookにしてもgoogleから検索できない世界が広がってきていて(pjaxとかも)、その検索が届かない世界が面白い。
公開されていないところでのなにかが面白い、公開されているけれど技術的にクロールしづらくされている、公開された情報ではなく公開されていない「通信」に近い情報がその内容と行為の両面で面白い、と言うことじゃないだろうか。
そうなると検索はよりパーソナルなものになるし、未来はそこにあるんじゃないかな。
そのうち公開された情報を検索するGoogleで見つかるのはゴミしかない、って世界になってしまうのだろう。
とはいえ公開された情報、例えば公式情報や共有されるべき知識(wikipediaだったり辞書のようなもの)やニュースは無くならないだろうからゴミだ、とは言い切れないだろうけれど、横断的に見つけてくるだけのものの魅力は減っていくのではないかな。
公開された情報なら、なにかに特化し、結果にそれなりの信頼を得られる検索の仕組みの方が魅力が有るようにも思う。
- びみょう
どうなってくのか分からないけどこのままの方向に発展していくのと不便になっていくんじゃないかなと思う。
あとアメリカ的なwebサービスをそのまま受け入れるのは難しくなってドメスティックななにかが広がってく方が良い方向なんじゃないかなーとか思っている。
新しいモノ好きの人には良いけれど、普通の人にはどうだろうか?スマートフォンが本当に普及するのだとしたら、やはりキャリアはドメスティックなサービスへ誘導するだろうしそもそも普通の人の感じる分かりやすさと新しいモノ好きの人が感じる分かりやすさは違う。
(逆に普通の人に見つからない方が都合が良い場合はユーザに見える部分を英語にする、って手が有るのかも。)
機材だったりプラットフォームはばーっと普及するけど、それと同じようにリテラシーが広まるかと言うとそんなことはないってのをtwitterや、スマートフォンアプリレビュー欄なんかで見せつけられたのでこれからどうなるかなー?
っていうか、どーすんのよ。。
えーっ。どーしよー。。
- これからネットできゃっきゃするのどーしたらいいの。
仲間内での濃いめのコミュニケーションみたいなのは表のtwitter+裏の何か(IRCだったりSkypeだったり)だったのが表のfacebook+裏の何か(以前のものに加えてfacebookのグループとかも)、に変わって来てる感じで自分が入っている輪しか見えにくくなってる気がする。
それはそれで居心地が良くて良いのだけれど、でも新陳代謝が無いので煮詰まるのよね。
- 最近のめんどくさいこと
twitterでうっかりしたこと書いて検索されて炎上、とかってそのめんどくささを知ってるからみんなそれなりに気をつけてるんだと思うけど、でも何が誰の逆鱗に触れるか分からないし公開されたところってやりにくい。
検索されて炎上、RTされて広まって炎上、まとめられてさらに炎上、ってバカみたいだけど普及するってそういうことなんだろうな。どんな集合でも困った人は一定の割合で存在するし、普及すれば困った人の絶対数は多くなる。
「なぜウォッチ対象に干渉するのか!黙って見守るのがウォッチだろ!」とか言っても、そんなこと言ってる人の発言力を困った人の数が上回ってしまう。
twitterが素晴らしい、と喧伝されていた頃の利点っていうのはある程度の水準の人たちが使っていたから(困った人たちの絶対数が少なかったから)保たれていたもので、これからのtwitterってのはブログ普及期と同じ様な残念な世界になっていく気がしている。
あの頃は逆に何が誰の琴線に引っかるか分からないからどんなきっかけで他人と繋がるか分からない、という楽しみも有ったのだけれど総数が増えちゃったらそういうことは難しくなるだろう。
- で、どう反応した?
鍵垢を併用し始めたり、もうtwitterはほとんど使わずfacebookに移ったりしている人が周りでは増えてきてる。
検索は必要だし、公式RTが無くなっても非公式RTすればよいし、まとめは「次の新しいモノ」候補だから「めんどくささを促進する仕組み」を排除することはできないんだろう。
となると一般人が自由に「つぶやき」たければ鍵垢に移行する方が気楽。
それってtwitterの魅力を毀損していないだろうか?
twitterで繋がっていくことが楽しかったのに。
もうああいう楽しさは味わえないんだろうな。
自由に書けないのも息苦しいし。
- 次の新しいモノ
めんどくさいことが起きにくい次の新しい場ってどーしよー?
twitterが出てきたときのようなインパクトも中毒性を持ったなにかってのが出てくることについては割と悲観的。
似た様な何かだと「それって○○でしょ?」って印象を持たれ、さらにその失望は伝染するから流行らず、鳴かず飛ばずで終わってしまうだろう。
ではまったく違う何かだと良いのかと言うとそうも言い切れない。例えば、こういうものに飛びつく人は「新しい技術で作られた新しいモノ」が好きなので「裏側もなにか凄そう」にしないといけないだろう。また、海外で既に流行っている、という前例がないとそういう人は飛びつかないだろう。
そういう「なにか凄そうで海外でも流行ってる」ものに飛びつく人が喧伝しないと他の人には広がらないので日本で「次の新しいモノ」が出てくるの難しいんじゃないかなー。
そして、もう一つ。
コミュニケーションの場としての受け皿がfacebookのグループで既に実現されちゃっている点。
自分を軸に考えるとグループはクローズドなもの、と感じがちだけれど、そこは使い方次第でグループのメンバーが他の人をグループに誘えるようにすると友達の友達、さらにその友達、と輪はひろがる。
このままだと「次の新しいモノ」はfacebookのグループで良いじゃん、ってことになりかねない。
- どーすんの?
twitterはまあ目立たないようにふわふわやっていけばいいのかな。ふわふわした人しか残ってないし。
でもtwitterで今後新しく誰かと知り合うってことは少なくなるんだろうな。。
新しいなにかについては期待しないで待ってればいいかな。まあ難しいだろうし。
昔のtwitter的な何かはfacebookのグループに、と思ってたけど、どうかなあ?これは様子見。
結局なにが言いたかったのか分からないけど。
どーしよー
昨年は云々、今年も云々ってほどこのブログ使ってないけどおめでとうございます。
一日は二駅先ぐらいにある神社に行って人ごみを眺めながらぶらぶら歩いて帰ってきて、家の近所の神社で初詣、と言うのがここ数年の定番になってます。
で、ぼんやり感じるのは年々お参りにきてる人が増えてるってこと。
お正月の都市人口って増えてるんじゃないだろうか。
以前は三が日は休んで四日から営業します、って近所のスーパーも書いてた気がするんだけど最近は一日から、二日から営業してる。
近所の神社も以前は行列とかできてなかった気がするんだけどな。。
帰省しなくなった人が増えた、とかなのかな、と思ったけど、どうなんでしょう?
家族持ったら帰省しなくなる?都市圏在住の二代目が大人になったから帰省先=都市圏、とか?
それともただの気のせいなのかな。
数えたわけじゃないから結局そんなとこな気がする。
あ、地方から東京に来てる人+海外から東京に来てる人も結構居る気はするね。
彼らが神社に初詣に行くかっていうと微妙な気もするけど。