えーっ。どーしよー。。
- これからネットできゃっきゃするのどーしたらいいの。
仲間内での濃いめのコミュニケーションみたいなのは表のtwitter+裏の何か(IRCだったりSkypeだったり)だったのが表のfacebook+裏の何か(以前のものに加えてfacebookのグループとかも)、に変わって来てる感じで自分が入っている輪しか見えにくくなってる気がする。
それはそれで居心地が良くて良いのだけれど、でも新陳代謝が無いので煮詰まるのよね。
- 最近のめんどくさいこと
twitterでうっかりしたこと書いて検索されて炎上、とかってそのめんどくささを知ってるからみんなそれなりに気をつけてるんだと思うけど、でも何が誰の逆鱗に触れるか分からないし公開されたところってやりにくい。
検索されて炎上、RTされて広まって炎上、まとめられてさらに炎上、ってバカみたいだけど普及するってそういうことなんだろうな。どんな集合でも困った人は一定の割合で存在するし、普及すれば困った人の絶対数は多くなる。
「なぜウォッチ対象に干渉するのか!黙って見守るのがウォッチだろ!」とか言っても、そんなこと言ってる人の発言力を困った人の数が上回ってしまう。
twitterが素晴らしい、と喧伝されていた頃の利点っていうのはある程度の水準の人たちが使っていたから(困った人たちの絶対数が少なかったから)保たれていたもので、これからのtwitterってのはブログ普及期と同じ様な残念な世界になっていく気がしている。
あの頃は逆に何が誰の琴線に引っかるか分からないからどんなきっかけで他人と繋がるか分からない、という楽しみも有ったのだけれど総数が増えちゃったらそういうことは難しくなるだろう。
- で、どう反応した?
鍵垢を併用し始めたり、もうtwitterはほとんど使わずfacebookに移ったりしている人が周りでは増えてきてる。
検索は必要だし、公式RTが無くなっても非公式RTすればよいし、まとめは「次の新しいモノ」候補だから「めんどくささを促進する仕組み」を排除することはできないんだろう。
となると一般人が自由に「つぶやき」たければ鍵垢に移行する方が気楽。
それってtwitterの魅力を毀損していないだろうか?
twitterで繋がっていくことが楽しかったのに。
もうああいう楽しさは味わえないんだろうな。
自由に書けないのも息苦しいし。
- 次の新しいモノ
めんどくさいことが起きにくい次の新しい場ってどーしよー?
twitterが出てきたときのようなインパクトも中毒性を持ったなにかってのが出てくることについては割と悲観的。
似た様な何かだと「それって○○でしょ?」って印象を持たれ、さらにその失望は伝染するから流行らず、鳴かず飛ばずで終わってしまうだろう。
ではまったく違う何かだと良いのかと言うとそうも言い切れない。例えば、こういうものに飛びつく人は「新しい技術で作られた新しいモノ」が好きなので「裏側もなにか凄そう」にしないといけないだろう。また、海外で既に流行っている、という前例がないとそういう人は飛びつかないだろう。
そういう「なにか凄そうで海外でも流行ってる」ものに飛びつく人が喧伝しないと他の人には広がらないので日本で「次の新しいモノ」が出てくるの難しいんじゃないかなー。
そして、もう一つ。
コミュニケーションの場としての受け皿がfacebookのグループで既に実現されちゃっている点。
自分を軸に考えるとグループはクローズドなもの、と感じがちだけれど、そこは使い方次第でグループのメンバーが他の人をグループに誘えるようにすると友達の友達、さらにその友達、と輪はひろがる。
このままだと「次の新しいモノ」はfacebookのグループで良いじゃん、ってことになりかねない。
- どーすんの?
twitterはまあ目立たないようにふわふわやっていけばいいのかな。ふわふわした人しか残ってないし。
でもtwitterで今後新しく誰かと知り合うってことは少なくなるんだろうな。。
新しいなにかについては期待しないで待ってればいいかな。まあ難しいだろうし。
昔のtwitter的な何かはfacebookのグループに、と思ってたけど、どうかなあ?これは様子見。
結局なにが言いたかったのか分からないけど。