うわー、どーすんの。。
さっきの続きのような別の話。
- 場のこと
twitterはステータスの交換からリプライだったりハッシュタグでコミュニケーションの場に向かっていったけど、最近の変化はメディアというか拡声器的な存在に向かっている気がする。
で、facebookは共有、コミュニケーションを邁進している。
google+はどーなのよ、って言うとやっぱ分かってない感があるので結構時間かかるんじゃないかなあ?
例えばGmailの様にみんなが使いたい、って思う様なサービスではないと思う。
- じゃあGoogleは?
Googleのサービスが魅力的でなくなる日が来るなんてだれも想像してなかったような気もするけれど、でも最近その陰りはちょいちょい話題になっている。
twitterにしてもfacebookにしてもgoogleから検索できない世界が広がってきていて(pjaxとかも)、その検索が届かない世界が面白い。
公開されていないところでのなにかが面白い、公開されているけれど技術的にクロールしづらくされている、公開された情報ではなく公開されていない「通信」に近い情報がその内容と行為の両面で面白い、と言うことじゃないだろうか。
そうなると検索はよりパーソナルなものになるし、未来はそこにあるんじゃないかな。
そのうち公開された情報を検索するGoogleで見つかるのはゴミしかない、って世界になってしまうのだろう。
とはいえ公開された情報、例えば公式情報や共有されるべき知識(wikipediaだったり辞書のようなもの)やニュースは無くならないだろうからゴミだ、とは言い切れないだろうけれど、横断的に見つけてくるだけのものの魅力は減っていくのではないかな。
公開された情報なら、なにかに特化し、結果にそれなりの信頼を得られる検索の仕組みの方が魅力が有るようにも思う。
- びみょう
どうなってくのか分からないけどこのままの方向に発展していくのと不便になっていくんじゃないかなと思う。
あとアメリカ的なwebサービスをそのまま受け入れるのは難しくなってドメスティックななにかが広がってく方が良い方向なんじゃないかなーとか思っている。
新しいモノ好きの人には良いけれど、普通の人にはどうだろうか?スマートフォンが本当に普及するのだとしたら、やはりキャリアはドメスティックなサービスへ誘導するだろうしそもそも普通の人の感じる分かりやすさと新しいモノ好きの人が感じる分かりやすさは違う。
(逆に普通の人に見つからない方が都合が良い場合はユーザに見える部分を英語にする、って手が有るのかも。)
機材だったりプラットフォームはばーっと普及するけど、それと同じようにリテラシーが広まるかと言うとそんなことはないってのをtwitterや、スマートフォンアプリレビュー欄なんかで見せつけられたのでこれからどうなるかなー?
っていうか、どーすんのよ。。