sonkm3's diary

そして、物語ははじまる。

筆を選ばずって言うかそれしかできない。

最近レンズがどうの、みたいな話を近いところで見てて、ガジェット好きとしては首突っ込みつつもなんか違うなー、というか興味持てないな、とか思っていて。。

前にどっかに書いたけどレンズとかって楽器と同じで、すべてにおいて万全である完璧な存在としての「高性能」はあり得ないと思ってて、そして、その性能、個性を使いこなした結果に作用するのは自分だ、と言う難しさも有ると思っている。

エディ・ヴァン・ヘイレンのギターを弾かせてもらったけど彼の音は出なかったし、彼がそこらのギターを弾いたら「エディ・ヴァン・ヘイレン」の音が出たっていうエピソードがあるように、どんなに良い機材でもその性能を発揮できるかどうかは使う人の能力に拠ってしまう。逆にどんなにダメな機材でも使い方次第で自分のものにすることが出来る可能性もあるのだろう。

弘法が筆を選ばなかったのは、どんな筆であろうと自分の字を書けるだけの自己を確立していたと言う事なのではないか。

 

振り返って自分のアウトプットはまあその、たいしたものではないし、筆を選ばずって言うかそれしかできないのだけれど、機材の個性を越える個性みたいなものが出てくればアウトプットを自分のものに出来た、となるのだろうなと思っている。

機材の個性を否定しているわけではない。機材の個性の外側に使う自分の個性が有る感じ。機材の個性に自分の個性が消されていたらそれはアウトプットしない方が良い物だろうから。